中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

特記 選挙に行きましょう。

2024年4月17日

 来たる4月28日は当塾の拠点であります東京15区(江東区)で衆院補欠選挙が行われます。当日もしくは期日前に有権者は一票を投じましょう。

「有権者」の「有権」とはこの場合「選挙権が有るということ」です。これは憲法で保障された参政権の一種ですね。
国の行く末を国民が決められる、という点で「権利」ですが、一方で、国民である以上そこに住まう当事者たる国民がそれを決めなければならない、という点で「義務」だという考え方もありますが、どちらにせよ参加し行使すべきだと考えています。そしてその権利なり義務なりの行使を放棄した人間は「政治や政治がもたらした現象について何か物申す資格」が消滅しまうことを肝に銘じるべきだと考えています。

 さて、選挙当日は「うちの子は公民について何も知らない」と嘆く前に親が範を示し、一緒に選挙に連れて行ってあげてください。そこで仕組みを教えるのです。

 「子どもにそんなことさせなくてもいい」「子どもは遊んでいるか家で勉強していればいい」ではなく、親だからこそできることを実践してみてください。こういうのを「社会勉強」と言います。

 「子どもの社会の成績は家庭環境次第」と言われます。地理・歴史・公民どれもこれも家庭内でできることだからです。前述の「選挙に連れて行く」もそうですが、「旅行(遊園地・テーマパークは除外)に連れて行く」「美術館・博物館に連れて行く」他に「家では大河ドラマを見る」などなど。このような経験が豊富な家庭のお子さんは自ずと社会が得意になります。こういうことを親が意識的にやらないと「社会は暗記ばかりの無味乾燥な科目」とお子さんは勘違いしてしまうのですね。社会に限らず勉強を面白くさせるもつまらなくさせるのもその根源は「家庭に有り」なのです。

飛ばし読みは厳禁。②

2024年4月16日

 続きです。

 前回も申し上げましたが「中学入試は戦い」です。極論を申せばサバイバルゲームに臨むような感覚で対峙していただきたい。。「中高6年間、付属なら10年間の人生がこの一瞬で決まる」ならリアルに「人生をかけた勝負」と言えなくもないのです。「もしあのときあの学校に受かっていたら(落ちていたら)」とパラレルワールドを想像してみたらわかると思いますが、「入試の結果で人生がだいぶ変わってしまう」のが本当のところです。だから、自分の人生を自分で思い通り構築していくために、その前哨戦とも言うべき中学受験には真剣に臨んでいただきたいのです。

 なぜこのように大仰しい話を最初にしたかと申し上げれば(国語に関して言いますと)「漢字ひとつ丁寧に仕上げられない子」「平気で記述の空欄を作ってしまう子」「選択問題で適当に選ぶ子」が多く、とてもではありませんが「命がけで入試に向き合っている」とは言えないケースが目立つからです。あえて失点してしまうようなこと、落ちる可能性が高まるようなことを平気でやる、そしてそれを改善しようと努力もしないで、現状維持のままでもなぜか自分は入試に受かると思っている、そのように「根拠なき楽観」をしてしまうことへの理解に苦しむからです。

 タイトルにある「飛ばし読み」は人間の弱さが出てしまう行為です。「めんどくさい」「疲れた」「理解できない文だから諦める」「どうせ今回もダメだから捨てる」こういう「弱い自分」がそのような行為をさせるのです。これでは戦さの種類に関係なく勝つことはできません。

 「飛ばし読み」を防ぐにはまず「国語で満点を取るんだ」という気概、「過去最高点をとるぞ」という決意、「自分はできるんだ」という自信、これを前もって準備し臨んでください。負けることを前提とした勝負で勝つことはないからです。

 そしてまずは「手を使う」こと。一文一文鉛筆を使い、なぞるようにして読み進める。鉛筆を動かすスピードを可能な限り速め、目はできるだけそのスピードについていくようにする。更に「心で音読する」こと。つまり「手も目も心も使い全身で読む」のです。スポーツをやる感覚と同じですね。目だけ使いぼーっと読んでいては理解力は高まりません。

 そして・・

 まだまだはあるのですが、このテーマにつきましてはこのくらいにさせていただきます。ですが、上記のことをやるだけである程度は改善されると思います。

 次回は新テーマです。

 

飛ばし読みは厳禁。

2024年4月15日

 国語は人間力勝負です。

 人間力とは性格が良いとか悪いとか、そういうことではなく、人間が生き延びるために不可欠な力のことを指します。「入試は生き残るための戦い」これを自覚し、なおかつその力を発揮できる生徒が入試では強いと言えます。体育会系のクラブに属している子は日々戦い慣れしていますから、入試本番で強いということはよくあります。

 その人間力は「体力」だったり「集中力」だったりします。戦うとき「体力」「集中力」がなかったら勝てませんね。生き残るために欠かせない力なのです。

 競争力が伴う「中学入試」も戦いそのものなのです。

 今回テーマにした「飛ばし読み厳禁」ですが、この「飛ばし読み」をする子は入試を「生き残りをかけた戦い」だという認識が薄いです。「その飛ばした部分が問題を解くキーセンテンスだったらどうしよう?」という警戒心や想像力が足りないのです。警戒心のない動物がたちまち淘汰されてしまうように、そのタイプの子は入試でも即脱落してしまします。戦う前から勝負は決まってしまうということなのです。

 次回もこの辺りのお話を続けて参ります。

音読の勧め。

2024年4月12日

  先日行われました四谷合判定テスト国語の当塾生の平均偏差値は52.2(最高63)でした。スタート時点でこの水準ならまずまずです。さて、4月上旬のここから来年2月まで皆さんどのくらい伸びていくか。今から楽しみです。

 そしてテスト終了後には、上記の生徒さんの更なる飛躍を期待し、再度全員に申し上げたことは「音読の勧め」です。これを徹底させるだけで国語の成績は高値安定します。

 再度、と申しますのはこの「音読の勧め」につきましては体験授業時に必ずお伝えしている内容だからです。その重要性を真に理解している生徒さんは活用します。理解が薄いと活用しません。この差が国語力の差に繋がりますので、今回改めて試験終了時に確認したのです。

 不思議だと思いませんか?
 音読は小学校低学年時には必ず宿題になっています。某塾のテキストには「音読しながら読み進めてください」と書いてあります。そのくらい「音読」は重要なのにそれを無視している子が多いことを。

 その音読の重要性、つまり「なぜ音読しなくてはいけないのか?」を学校も塾もきちんと説明していないからなのです。説明を受けていないから子どもは「ただただ声を張り上げるだけの音読」「テキストにそう記してあるのに無視して黙読オンリー」という間違った行為に出てしまうのです。(学校も塾も怠慢だから説明しないのではありません。「音読の重要性を子どもたちはみんな知っている」という前提に立っているからなのです。しかしほとんどの生徒さんがその重要性を理解していないという現実があります)

 当塾にはかつて国語の偏差値で65を下回ったことがない「伝説のF さん」が在籍していて(その後桜蔭→東大医)、その子が言うには「国語は音読すれば普通にわかるじゃん」「え?みんなやらないの?」後にも先にも音読の重要性、私と考え方が一致している生徒を初めて見ましたので、その時私は相当驚いたことを記憶しているのですが、もともと理系の生徒だったこのFさんはやはり物事を理屈で考えられる生徒さんだったからなのでしょう、「音読することの意味」をしっかり理解できていたのです。「だから国語の成績がいいのも納得」と私は改めてそう感じたものです。

 「正しい音読」についてのご説明はここではできませんが「どうしてアイスクールの生徒のほとんどが入試直前に国語の成績をピークに持っていけるのか?」「偏差値が40から60くらいまで上がってしまうのか?」が、この説明をお聞きいただければご納得いただけると思います。

 


 

国語力をつけるのに読書は有効なのか?③

2024年4月07日

 続きです。

 自己流の読み方をしても何の支障もない「趣味の読書」と、中学入試で対峙する「文章題の読解」は似て非なるもの、前者のやり方を後者に当てはめてもほとんど成果はありません。 高得点できたとしても、それはたまたま(物語文との)相性が良かっただけでそれを成果とは呼び難く、安定的な「得点の高値維持」には繋がりません。

 「趣味の読書」に興じているお子さんの書棚を見ると「漫画」「ライトノベル」がほとんどです。気分転換にはいいのです。しかし入試に出るのは軽いタッチのラノベではありません。受験生の思考力・ロジカルシンキングを測る文章ばかりなのです。物語文ではそれに似たものもたまに出題されますが、やはり中心は説明文、論説文、随筆文です。これらが読解できないと入試ではお手上げなのです。そもそも読書を趣味にしている子はこのような分野の本を購読したり、図書室で借りたりはしません。子どもが面白みのない分野に食指を動かすことはないからです。もし入試頻出分野を読書に取り入れてこなかったなら、その趣味は成績向上に何の貢献もしていないことになります。

 とは言え、永田は読みたくないのに無理して説明文・論説文を購入しなさい、借りなさい、とは言いません。これらの分野を「読書の時間」にするのがアイスクールの授業だ、という説明をしています。どういう意味なのご説明しますと、

 永田の授業は「文字ごとの理解を積み重ねて一文の解釈、一文ごとの理解を積み重ねて段落の解釈、段落ごとの理解を積み重ね文章全体の解釈」をしています。生徒さんと一緒に読みながら・・です。つまり授業時に「正しい読書法」をお教えしているのです。ものすごく時間をかけ読解を行いますが、その分ものすごく理解度が高まります。文章を完全に理解できたなら選択問題も5秒程度で正答を得ることができるようになります。そりゃそうです。そのような当たり前の理屈に基づいた読書・授業を行なっているからです。こういう授業のあり方は一人一人に向き合えない集団塾では無理です。故に(他教科はともかく)「集団塾で国語力を伸ばすのは難しい」と申し上げているのです。(集団塾がダメという意味ではなく時間的物理的に難しいという意味)

 正しい読書を個別指導の授業を通して行なっているのです。すると「文章の内容がよくわかった」「わかるととっつきにくいと思っていた説明文や論説文って意外と面白いんだね」と生徒さんに思っていただければ、もう勝ったも同然なのです。

 わざわざ「小難しい本」を購入したり借りたりしなくても、入試問題で扱う「珠玉の如く内容の質が高い文章」に数多く触れればいいのです。厳選されたそれらを「無料でたくさん読める」のが当塾の国語の授業の旨味。授業時に人生に大きな影響を与えるかもしれない中身の濃い文章に触れる機会を得られること自体に価値があるのです。

 今回のテーマの結論は「趣味で行う自己流の読書」では効果は出ないが、「正しい手法での読書」では効果が出る、ということになります。

 「質の高い読書法で質の高い文章を正しく読む、そして正しく理解する」。その機会を授業時に体験できるのがアイスクールの強みかな、と思っています。

 次回は新テーマです。

国語力をつけるのに読書は有効なのか?②

2024年4月06日

 続きです。

 私が「国語力強化のための読書」に懐疑的なのは前回お話しした通りですが、では、家庭で国語力アップのための学習は不要なのか?といえばそういうわけではありません。

 「漢字・語句」は空いた時間でひたすら進めてください。それから週テスト・模試の解き直しも有効です。しかし算数理科社会と違い、文章題の解き直しは国語のできない素人(失礼)は変な癖のついたまま自己流でやろうとしますので、いくら時間をかけても成果は出ず徒労に終わることが多いです。国語は「正しい接し方・解き方」をしないと一向に身につきません。ですから私は文章題を宿題に出すことがありません。変な解き方をされたら困るからです。国語の上達のコツは「講師と一緒に解く」「そこで「正しい解き方」を吸収する」「そして以降は吸収した通りに仕上げる」このルーティーンしかないのです。そういう意味で国語ほど個別指導によって効果が現れやすい科目はないのです(と言いますか、他の科目はともかく、集団一斉授業では国語力は身につかないのです)。

 さて、前述の「漢字・語句」ですが、これも10個覚えても11個目が入試で出てしまえば、そこにかけた時間は徒労に終わります。かと言ってやらないわけにはいきません。私は「薔薇」「檸檬」のような漢字を覚えるのではなく、「入試頻出漢字」を覚えればいいと思います。そしてそれを覚え切っても「11個目」が出るかもしれません。しかしそれはそれで仕方ないことです。自分のベストを尽くしても「漏れ」が出ることもありますので、その場合は潔く諦めましょう。

 オススメは「自分の受ける過去問に出てくる漢字・語句」「銀本に出てくる漢字・語句」「大手塾で配布された漢字・語句」です。だいたい入試で出題される漢字は決まっているものです。それを毎日いくつか「拾う→覚える」を繰り返すことが肝要です。1日も弛まずに・・です。

 そして文章題は前述のように「正しい解き方」が身につかない場合、たとえ今回は(たまたま)解けても次回は・・になりかねません。国語のできないこの特徴は成績が安定しないことです。良い時もあれば悪い時もある、これではダメで国語は常に「高値安定」でなければならないのです。そうしないと「他の科目(特に算数)でコケた場合のセフティーネット」にならないのです。

 アイスクールで国語に限らず授業を希望される方は「受講した科目で高値を定着させるための塾」とお考えいただければ幸いです。
 
 



 

国語力をつけるのに読書は有効なのか?

2024年4月03日

 国語のできないお子さんを持つ親御さんから「先生、うちの子は本を読まないから国語ができないんだと思うのですが、今からでも読書量を増やしていけば少しは国語ができるようになるんでしょうか?」という質問を受けることが多いです。これ、必ずと言っていいほど聞かれるんですね。そしてこの質問に私はものすごく違和感を覚えてしまうんですね。

 この質問って「先生、うちの子は魚が苦手だからお寿司を食べさせたら魚嫌いが解消できるでしょうか?」に似ているんですね。「読書」も「お寿司」も好きでやる「道楽」です。「読むのが好き」「魚が好き」という前提ありきの趣味なんです。「読むのが嫌い」「魚が嫌い」だと元々その趣味に行き着くことはないんですね。

 要は本末転倒のご質問なのです。そして読書量を増やしたところで絶対その子は「親から命じられて嫌々」に違いないのです。「嫌々」は拒否でしかありません。拒否からは何も得られないし時間の無駄なのです。だからこういうことを強要して「これで国語力が身につくだろう」という発想に行き着くことがおかしいのです。こういう質問される方には「読書の重要性がわかっているのでしたら、どうして幼児期のうちにその楽しさをお教えしなかったのですか?」と逆に質問したくなります。

 とはいえ、私は読書量と国語力が比例するとは考えていません。思い浮かぶ読書のメリットは「語彙が増える」「漢字の知識が増える」「文章慣れする」などでしょうが、知らない語句や漢字は調べるのがめんどくさいからスルー、みたいにされちゃうと意味がないのです。こんな中身の薄い読書を重ねて「文章慣れ」したところで何の役に立つのでしょうか?

 なぜスルーするのか?それは読書が趣味であり「自分勝手な読み方」をしてもいいからです。飛ばし読みもOK、主人公の心情の変化について間違った解釈をしてもOK、途中でやーめたでもOK、誰からも指摘・批判されませんから「なんでもあり」なのです。しかしこの「なんでもありの読み方」を国語の入試でもやっちゃっていいんですか?。厄介なことにこういう「適当読み」をしてしまうのが読書好きな子の特徴なのです。さらに厄介なことに、こういうことを長年積み重ねてきたことでその悪い癖からなかなか抜け出せず、本当の国語力が身につかないまま知らないまま終わってしまう子が多いのです。

ですが、だからと言って「趣味の読書」を否定するつもりはありません。しかし「強制的読書」をさせるくらいなら、変な癖がつかないように、最初から変な読書は控えるほうがまだマシなのです。

 だから私は冒頭のような質問をいただいたときはこう答えます。「嫌々読書をする暇があるなら算数をやってください」と。

 このお話は次回に続きます。

 

「学ぶ」とは「真似る」こと。⑥

2024年3月30日

 最終章です。

 当塾では代表の永田が四教科丸ごと担当する「お任せコース」を設置しており、毎年結果を残してはいますが(ブログ内合格実績参照)、やはり「国語のアイスクール」ということで「まずは国語から」という方が多いです(そこから他の科目も・・というパターンが多い)。

 この国語という科目はどの科目よりも成績を伸ばしやすい、しかし、それを言うと皆さん驚かれます。なぜなら「そんなはずは無い、だって国語はどんなに努力してもそれに見合った成果が現れないから」と考えてる方が多いからです。しかしその努力は正しいものなのでしょうか? 東に行かなくてはならないのに、西へ向かう努力(それも必死に)をしていないでしょうか?

 「正しい努力」さえすれば、国語の偏差値が30だった生徒が50に、40の生徒が60に、というように20くらいは上がるものなのです(体験授業時に限りその「証拠」をお見せするのですが、ごらんになった皆さんはびっくりされます)。多くの受験生はその辺りの「国語の仕組み」を熟知していないので、彼らが足踏みしている間に、それを知った子だけがいとも簡単にそのようなパフォーマンスを実現してしまうのです。国語は「成績を上げることを諦めている子」が多い科目なので、算数と違い必然的に実質競争力の低いブルーオーシャン状態なんですね。つまり「ちょっと頑張れば勝てる」になりやすいのです。正しく努力すれば「できない子を尻目に自分だけ勝手に成績を伸ばしていく」そのような効率良く且つ気持ちの良い勝ち方ができてしまうのです。そしてそうこうしているうちに「偏差値20アップ」がたやすく実現してしまうのです。算数も国語も入試での配点は同じでどちらも主要科目。国語で高値安定が維持できれば、仮に算数でコケても国語でカバーできてしまう、こうして入試に受かった子は当塾でも枚挙にいとまありません。そういう点で国語で点の取れる子は入試で強いのです(算数が得意な子でも難関校の算数でコケることはあるが、国語の仕組みがわかっている子は入試問題の難易にかかわらず確実に得点できる)。

 とは言え、全員が全員そのようになるわけではありません。そのようになるのは以下の2条件が揃ったときです。

1 生徒さんが素直で真面目で熱意がある
2 親御さんが短気でない

 他の科目もそうですが、国語ですぐに成績を上げるというのは難しいです。なぜなら「今まで踏襲してきた誤った学習法を捨てる」「新たに正しい解き方をマスターする」を同時進行できる器用な子どもが少ないからです。そして子どもというのはめんどくさがりやで、窮地に追い込まれても自己改革ではなく、「現状維持」を考えてしまうからです。ですから、たとえ上記1のような性質が備わった子でもそこそこ時間がかかってしまうのです、かかりますが一度マスターしてしまえば指数関数的に伸びていきます。例えるなら補助輪なしで自転車に乗れたら、あとはスースー乗れるようになるような感じです。それなのに、補助輪外してフラフラしている子に「あなたは見込みがない、もう自転車なんか諦めなさい」という親がいるでしょうか?

 飛行機も助走距離が長いから高く飛べるのです。それなのに「いつまで立っても離陸しないこの飛行機は欠陥品である」とクレームを入れることがあるでしょうか?

 1年掘っても金は出てこない、しかし金鉱まで残り3㎝、それなのに「1年頑張っても金は出てこない、やーめた」とスコップを放り投げるでしょうか?

 国語は(他の科目と違い)徐々にではなく、マスターしたと気づいたときから加速度的に成績が上昇します。入試直前に、しかも「急に」なのです。

 そこまで我慢して「素直で真面目で熱意ある生徒」でいられるか、そこまで我慢して「子どもを信じられる親」でいられるか。
 
 最後まで粘り我慢し諦めないことが肝要。入試を含め大事を成し遂げられるか遂げられないかは、結局は「人間力次第」なのです。

 
 次回は新テーマです。

「学ぶ」とは「真似る」こと。⑤

2024年3月28日

 続きです。

「素直で真面目で熱意のある子」成功する子どもの資質につきまして先日このようなお話をしましたが、ここで注意していただきたいのは「真面目の定義」です。本日はそちらのお話ですね。

 よく「大人しくて真面目な子」「控えめで真面目な子」のように「大人しさ」「控えめ」と「真面目」をセットにして評価することがあるのですが、この両者はまるで違いますのでセットになることはありません。

 私も仕事柄「大人しく静かな子」に出会うこともあるのですが、不思議なことにそういうタイプの子のご両親は逆によくお話しされます。その分口出しも多いのです。おそらく口うるさい親からの自己防御姿勢がそういう子を作り出してしてしまったのかな、と思います。本来生物は子ども時代は「ちょこまか」していてイレギュラーかつ無鉄砲な行動をとるものです。ですから「大人しく静かで控えめな・・」は不自然な姿なのです。もしそうなら「親御さんがそういう子にした」これは間違い無いと思います。

 過干渉の親に育てられた子は「反抗しても無駄」「自分はああいう親にはなりたくない」で、心が引きこもり状態になり「大人しく静かな子」になるのです。学校でもそういう子は「他者に介入されたくない」「介入されて傷つくのが嫌」「目立って吊し上げられるのが嫌」なんだと思います。自分を制限してしまう点で生き方が消極的なんですね。これが過度になると「何事にも対しても無気力」になるのです。Fランと呼ばれる大学に行けばわかりますが、多くの学生が大人しいというか「勉強もサークル活動もバイトも全てにおいて無気力なタイプ」が多いのです。

 大人しく静かな子は大人から見て人畜無害です。要は自分(大人・親)にとって「余計なことをしない都合の良い子」なのです。その取り扱いのしやすい子、自分に害を与えない子を「真面目」と一括りにプラス評価したり、それを「真面目の定義」にしてしまったりする親・教師は物の道理・本質を見誤り、子育てで失敗してしまうのです。

 「生き方が消極的」なのが「大人しく静かな子」の特徴なのです。中には表面的にはそうであっても心が燃えたぎっている子もいます。そういう子は「生きる気力が積極的」で、本当の意味で真面目であることが多いです。また、授業時に私との会話が楽しめるような子は、大人に臆することなく接することができる行動力できる点で「真面目」の部類に入ると思います(当塾ではよくしゃべる子の合格率・パフォーマンスがなぜか高い)。

 「真面目の定義」を永田なりに解釈しますと「積極的に生を全うする」ことだと思います。生きることに全力を使うことが生きとし生けるものの義務であり、それを全うすることが「真面目」ではないかと考えています。そして「真面目な子」は先日のお話通り「エネルギシュで行動力のある子」でもあるわけです。

 真面目の真の意味を定義した上での「素直で真面目で熱意ある」であることが、中学入試での成功に欠かせない資質なのではないか、そのように感じています。

 

  



「学ぶ」とは「真似る」こと。④

2024年3月27日

 当塾は殊更上位校実績を高めたい塾ではありませんので「生徒さんを選ぶ」「できる子しか入れたくない」タイプの個別塾とは一線を画します。
ですので、いろいろなタイプの生徒さんが入塾しますが、前回も申し上げた通り「素直で真面目で熱意ある子」のパフォーマンスがいいのは間違いありません。しかしそうでない子も多く、同じ授業を受けていても結果に差異が生じるのはやはり「性格の違い」だと言わざるを得ません。

 偏差値の高い男子校(開成・筑駒・麻布など)を訪問したり説明会に訪れたり学園祭・体育祭に行ったりして気づくことがあります。それはエネルギー量と行動力が凄まじいということです。「お勉強ばかりのひ弱で青白い子」みたいなステレオタイプの秀才は存在せず、皆エネルギッシュなのです。むしろ乱暴なくらいです。部活も遊びも彼女との付き合いも全力投入です。そしてそれ以上に勉強にも全力投入します。「ものすごく遊ぶなー、だけどものすごく勉強してるなー」という印象なのです。

 逆にエネルギーの不足しているのはだいたい偏差値低めの学校で、良くいえば「一見慎ましやか」ですが、悪く言えば「覇気がなく無気力である」という印象です。学校訪問を幾度と重ねてきますと概ねこういう印象になるのです。

 小学生も同じです。

 「素直で真面目て熱意ある子になれない」のは自分を変えるエネルギーと行動力がないからなのです。どんなに成績が悪くともどん詰まりになっていても「現状維持が楽だから」で自分を変えられない。そのエネルギー不足と行動力の無さが今の生徒さんを作り上げてしまったのです。一見「こだわりが強い」「自分流を通したがる」とプラスに見えますが、崖っぷちの状況の中でこれでは「茹で蛙」になり立ち腐れしてしまうだけなのです。

 次回に続きます。

 

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