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国語対策法を伝授

国語で一番厄介な問題。

2024年6月06日

 国語のお悩みで多いのは「文章読解能力がない」「時間がなくて文章を最後まで読み切れない」「記述問題を毎回空欄にしてしまう」などですが、その一方で「一番厄介な問題」を知らず知らずのうちに放置していませんか?それは「選択問題」です。「選択問題でいつも外してしまう」という悩みをご相談される方はほとんどいないのですが、記述問題を空欄にしがちな生徒さんはその裏で、意外と選択問題もボロボロだったりするのです。これは国語の総合力がないことを意味しますが、ただ記述の空欄の方が印象として強く残りますので、そればかりに焦点が注がれたり、また、「選択問題のミスはたまたま」みたいに甘い認識があったりもしますから、「選択問題よりやっぱり記述問題克服が優先だよね」と皆さん判断しがちになってしまうのですが、本当の国語力を早い段階で身につけたいなら、まずは「選択問題で落とさない」を最優先すべきなのです。選択問題とは勘で選ぶものではなく、国語総合力に人間力が加わりやっと回答をひねり出せる(選べる)ものなのです。決して「チャチャっと選ぶ」という類のものではないのです。

 ですから「記述ができるようになったね」以上に「選択問題で外さなくなったね」の方が「その生徒さんの国語は成長している」と私は判断するのです。

 次回は(選択問題で外さなくなるコツは有料レベルなので、このブログ内での詳細な説明はできませんが)「外さないコツ」の一部をご紹介したいと思います。

 

「勉強ばかりでかわいそう」なら受験はやめてください。

2024年5月26日

 「勉強ばかりさせるのはかわいそうなので受験させない」とおっしゃる親御さんが少数ですがいらっしゃいます。こういう文言を聞くたびに不思議に思います。「勉強させること=かわいそうなこと」なのかと。私はむしろ「勉強できる環境が整っているのにもかかわらず、勉強および受験をさせないほうがかわいそう」と考えています。私がこういう仕事を営んでいるからそう思うのではなく、フラットな立場にいてもそう考えます。そもそも「教育を受ける」は権利であり、義務ではないのです。

 おそらく、毎日学校に通い更に塾にも通い日々受験のプレッシャーから解放されない我が子が不憫でならない、苦しむ子を見たくない、という感想をお持ちの親御さんは「自分は勉強嫌いの子だった」「自分はそうされるのが嫌だった」なのではないでしょうか?自分の体験=我が子の体験、自分の気持ち=我が子の気持ちであろうはずはないのに、親の主観的独善的見方で物事に対処すると大抵は失敗します。特に中学受験のように「子どもの人生の方向性がある程度決まるイベント」に参加するかしないかについては慎重に判断する必要があろうかと思います。

 勘違いしてはいけないのは子どもは勉強自体が嫌なのではなく、強要される・叱られる・競争させられるが嫌なのです。もし勉強嫌いな子がいるならそれは間違いなく関わった大人(親・学校の先生・塾の講師)の未熟さゆえのミスリードのせいなのです。

 当塾は湾岸地区に拠点を構えていますが、この周辺にお住まいのほとんどの親御さんは士業であったり誰でも知っている大手企業にお勤めだったりします。学歴も旧帝早慶出身の方が多く、おそらく相当学習に励んでこられたのだろうと推察します。そして私はおつきあいしているそのような親御さん方から「子どもに勉強させるのはかわいそう」みたいな類の言葉を聞いたことがありません。それは「自分がそれによって成功したから」です。むしろ勉強は夢を叶えたり人生を切り開いたりするための手段であり、同時に知識欲を満たすためのツールでもあり、だから嬉々として取り組んでこられたからではないでしょうか?このような「美味しいこと」を我が子にさせない法はありませんし、こういうマインドが充満しているこの地区だからこそ中学受験にみなさん熱意があるのだと思います。特に豊洲周辺は経済的余力のある方、教育に理解のある方が多く住まわれているので「塾に通わせる」「受験させる」方が圧倒的に多いのです。

 東京(特に都心)に住んでいること自体がラッキーなのです。なのに勉強や受験を回避される方はこのアドバンテージを本当に理解されているのか、と疑問に思うことが多々あります。私のように地方出身者は公立中→地元の自称進学校(1〜3番手校)→地方国立大という路線が主流ですが、それも一部の高校生のみが成し得ることができる程度なのです。翻って例えば東大、一橋大、東工大、早慶など在京難関大学に進学できるのは、大半が「東京周辺の中高一貫校に通った生徒」なのです。苦学して地方から東大早慶、みたいな流れは今日ではほぼほぼなくなりつつあります。そのくらい「東京周辺の中高一貫校」の学力的優位とその破壊力が地方進学校をはるかに凌駕しているのです。だとしたら東京に住まいながら経済的余力もあるのに「中学受験させない」という選択があまりにも非現実的で、これがお子さんの生き方の幅を狭くさせることにならないか、と危惧するのです。

 それでも「勉強させるのはかわいそう」「受験の苦しみを与えたくない」という方は受験させなくてもいいと思います。しかし御三家と呼ばれるような学校に通う私の教え子たちの表情が一様に明るいのはなぜでしょう?充実した生き方をしているからではないでしょうか?程よく遊び、程よく勉強し、程よくプレッシャーを感じながら・・みたいな過ごし方。私の覚えている限りで彼ら彼女らの過去を思い出して見ても「あの子ははいつも軽口を叩いていたな、めちゃくちゃ遊んでいたな、だけどその倍くらい勉強していたな」という印象なのです。

 本当に優秀な子は「明るくて遊びも勉強もトコトンできちゃう子」「プレッシャーを楽しめる子」なのです。だから「勉強ばかりでかわいそう」「受験の重圧でかわいそう」ではないのです。彼らはハードに勉強している一方で、遊びもトコトンやり思春期時代・青春時代を謳歌しているのです。「勉強も遊びも本気で取り組めない無気力な子」とは住む世界も見える世界もまるで違うのです。

 「勉強ばかりの子どもはかわいそう」なのではありません。正しい認識は「学習する外部環境は整っているのに、勉強する機会および受験する機会を与えられない子どもはかわいそう」なのです。
 

 

反射神経的に記述問題を空欄にしてしまう方へ。

2024年5月21日

※ 既報通り来期は月の稼働日数を半分にさせていただきます(具体的には月の上下旬のみの稼働・中旬の2週間は連続休暇)。先着順となりますので入塾ご希望の方は早めにご連絡ください。

 本日は記述問題のお話です。

 塾によっては選択問題の5倍以上の得点差がある記述問題。それくらい重要視されていて、しかも入試の合否の鍵を握っている記述問題。これをいとも簡単に空欄にしてしまうお子さんがいます。この時点で国語は負け決定なのですが、それでも改善しない生徒さんもいるようです。ちなみに当塾の生徒はよほどのことがない限り記述問題を空欄にしません。その重要性と取り組み方を徹底的にお教えするからです。この記述で得点することが可能になっただけで当塾のA君のようにサピックスBから1年でアルファに昇進し今も維持し続けているような生徒さんもいます。そのくらい記述はいい意味でも悪い意味でも破壊力を持っています。だったら「いい意味での破壊力」を身につけてみたいと思いませんか?

 「記述を空欄する理由」を考えてみると

1 仕上げる時間がない
2 時間があっても何を書いていいのかわからない
3 質問の意味するところがわからないので書けない
4 そもそも自分には作文能力がない

概ねこの4点に絞られようかと思いますが、その克服は以外と容易いのです。

集団塾では一人一人の記述力を小まめにチェックすること、記述力を鍛えることは時間的にも物理的にも難しいです。1:1の個別指導だからこそそれは可能になります。わたしも大手塾で御三家記述対策講義に携わったことがあり、当時の生徒にも同じようなことを申しておりましたが、「記述問題には必ず得点を得られるコツ」が存在しているのです。

ここでは詳細はお書きしませんが(有料レベルなので)、「どうしても」という方はお問い合わせください。



特記 来期より授業はスポット方式に転換予定です。

2024年5月13日

 今回は個人的な内容を含むブログとなり恐縮ですが、永田にとって今悩ましいのは(今更の話ではなくアイスクール開講以来)まとまった休みが取れていないことです。今年は休みを作ることを意図的に行ってまいりましたので、お陰様で比較的頻繁に旅行なども楽しめていますが、来期はさらにその比率を高めていきたいと考えています。
 
 「月半分程度の休暇習得」を実現する予定です。具体的には週末(土日)の完全休暇を含め、毎月「月中旬での2週間連続休暇取得」を目指します。

 上記の「月中旬での2週間連続休暇」達成のためには毎週の規則的な授業(レギュラー授業)の行使は難しくなります。そこで来期からは「月上下旬でのスポット授業」に転換いたします。(1〜10日 23〜30日で稼働予定)

 例えば「科目問わず苦手な分野に特化した授業を受けたい方」が上記期間内の空いている曜日・時間に予約をお入れいただくようなシステム、つまり毎週毎週の縛りをなくし、好きなところに授業をお入れいただく方式ですね。例えば「5月7日に算数の図形を、25日に国語の文章題を」「6月2日に理科の最座を、23日に社会の公民を」みたいな感じですね。また、一教科のみの強化をご希望されたり、月の上下旬であればおひとり様でも複数の授業をお入れいただいたりすることも可能にしておきます。

 ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

勉強を苦痛に思わない、思わせない。②

2024年5月01日

※ いよいよ5月です。2月入試まで残り9ヶ月。まだまだ猶予があるように思いますが、ここから先は意外なほどあっという間に時間が過ぎ去って行きます。ですから夏休みに入るまでに四教科一通りテキストを仕上げておくことをお勧めします。夏以降は過去問です。学習は早め早めに仕上げて行くのが鉄則です。

 勉強するのは中学受験成功のため、そして大学受験、就活成功のため。就活に全力を尽くすのはある程度の生涯賃金を得るため、そして退職金、年金を得て、年金受給後は健康の心配、相続の心配、ローン返済の心配・・このように「人生の設計図」を大まかに書き込んでしまうと、結局勉強というのは「将来の心配を回避するため」なのかな、と思ってしまいます。しかし、この心配は上記のように一生を終えるまで続いていくのです。もうキリがありませんし必ずしも全員が全員長寿が保証されるわけではありませんから、「将来のために今を犠牲にして耐えて我慢して」そして次の日に亡くなって・・みたいになったら人生嬉しいですか?というお話は前回も述べせていただきました。

 そしてこれも前回触れましたが「・・」したいから・になりたいからではなく、「・・」を避けたいから・が心配だから、が理由で取り組むことは大抵消極的になりがちです。モチベーションが上がらないからですね。そして大抵イヤイヤになります。外部からプレッシャーがかかれば尚更ですね。必要だとわかっていても避けたくなるものです。

 勉強を自分からやる子、勉強を楽しんでいるような子を見ると大抵の大人は褒めます。偉いねーとか言いますよね。
しかし(私もその類の人間なのですが)こういう子は野心家なのです。偉いとかそういう類のものではなく、自己肯定感と満足感を充実させたいがために勉強している人間なのです。要は「人より上を目指したい」「マウントを取りたい」のですね。そういう点では聖人君子とは程遠い、結構不純な動機で勉強しているんです(笑)。こういう生徒さんは毎年必ず出現しますが、彼らにとって勉強とは自分の欲を満たすための手段ですから意欲的に取り組みます。だから入試では強い。今年JGに入ったAさんもその塊のような女の子でしたね。

 つまり勉強はその動機によって楽しみになったり苦痛になったりもするのです。おそらく勉強嫌いな子は「勉強しないと・・になっちゃうよ」というプレッシャーを日々与えられ、元々モチベが薄い中で「やらされる感」を背負わされているから伸びないのです。親御さんもそういうプレッシャーばかり与えて、幼少期より子どもの自己肯定感を高めるようなことをやってこなかった。つまり双方が間違った目的で勉強したりさせたりしているから伸びないのです。

 スポーツ選手も一代で財を成した創業者も、皆に共通しているのは野心家であるということです。大谷選手が「お父さんや監督がうるさく言うから仕方なく練習を・・」なんて考えられますか? ユニクロの社長が「お金を稼がないと老後心配だから仕方なく会社を興して・・」なんて考えられますか?

 こういう大谷選手や柳井社長のように自然な形で「一旗あげよう」みたいな意欲に満ちた子に育てることが肝要なのです。子育ての目的とは究極的に言えば「生きることを楽しみ、生きる意欲に満ち溢れた子どもにする」ことだと思います。

 次回は新テーマです。

 



 

 

勉強を苦痛に思わない、思わせない。

2024年4月29日

 勉強のことで親子ゲンカをする家庭があります。怒りながら教える親と泣きながら反抗しながら教わる子ですね。
だけど、人は明日死ねかもしれないのに、人生最後の日の思い出がこんな感じだと悲しくなりますよね。

 私は今まで「楽しいことしかしない、嫌なことはしない」をできる限り貫くような生き方をしてきたような気がします。要するに納得できないことしたくないことはしない、という生き方ですね。ですからこの仕事も趣味の一環なので苦痛に感じたことはない。親子ゲンカもしたことはなく、塾生に対してももちろん叱りつけるようなことはしません。それは私が人格者だからではありません。「楽しくないことはしたくないだけ」だからです。つまり「楽しくない1日」を過ごすことほど人生の無駄はないと考えているからです。「人生は一回きり」を心底自覚するなら尚更そういう考えになると思います。

 そして勉強ですが、「知的好奇心を満たす」という本来の目的だけならそれは苦痛どころ楽しみであるはずなのです。しかし「勉強しないと・・になっちゃうよ」というフレーズが付加され、多くの場合この「・・」は自分にとって不利な立場になることです。それを避けるために勉強するというのであれば、本末転倒と言うか強迫観念に駆られての勉強ですから楽しいはずはありません。またこの強迫観念が家庭に充満すれば、心配性な親はリスクを避けるために鬼の形相よろしく、子どもに更なるプレッシャーをかけることになるのです。こうなると「叱る親、泣く子ども」の構図は簡単に作れてしまい、双方にとって「どんよりした1日」を過ごすことになるのです。

 これって家庭にとって望ましいことなのでしょうか?そして嬉しいことなのでしょうか?

 次回はこの辺りの話を進めてまいります。

 

たまには自分の頭で考えてみようか?

2024年4月25日

 こういう仕事をしていながら言うのも何ですが、生徒さんは教わる一方の学習から少し脱却を図るべきではないかと思います。

 「自分で考える」「自分で調べる」「自分で工夫する」を放棄し、「わからないから助けてよー ドラえもん」と、のび太の如く何でもかんでも人頼りにして、自分の歩むべき人生を自分の力で切り開いていけるのだろうか?そこに疑問を持つからです。

 もちろん「合格するためのノウハウ」を伝授するのが私の仕事であり、それを吸収することがお子さんの望みであるなら、そのご依頼を否定することはないのですが、自分としてはやるべきことはやった、トライアンドエラーも重ねてきた、しかし何の変化も進化もない、そういう切羽詰まった状況に陥ってしまったなら大いに私を頼っていただければいいのですが、自分で何も考えず何も工夫せず手放し状態で「助けテー」と言われてもそれは違うのではないか、と思うのです。先日も「先生、オリオン座って何なの?」と質問されましたが、自分で調べれば済む話のことでも平気で質問してくる。このようなことをされると「この子は自分で生きる力が身につくのかな」と大げさに心配してしまったりするのです。なんのためにスマホやパソコンがあるの?と突っ込みたくもなります。

 「質問すれば大人はハイハイ答えてくれると思ったら大間違い」この某漫画のセリフのように、世を渡るのは甘くはありません。大事なことを他者に漏らすと今度は自分が不利な立場になるかもしれないからです。そういう腹の探り合いをしながら生きて行かなければならないことが人生では大いにあるのですが、そういう世界とは無縁に近い子どもの質問には大人は喜んで答えてくれますが、「困ったことがあればすぐ誰かが助けてくれる」みたいなそのような甘ちゃん思考は大人になってからは通用しなくなります。やはり年少時から「自分の人生は自分で・・」の精神を持っておくべきなのです。

 最近「授業はいらない」を謳った塾が注目されています。(これまたこういう仕事をしている私が言うのも何ですが)私も共感するところはありますね。なぜなら私も学校以外の授業を受けた経験がない、つまり通塾経験がないからです。田舎者なので中学受験とは無縁でしたが、高校受験、大学受験も全て独学で何とかしてきました。

 明確な目標が決まっていてそれを達成したいなら自分で能動的に動けば良いだけの話なのです。通塾を拒んだのは「めんどくさい」「学校が終わった後にわざわざ出かけたくない」「授業聞いている時間が無駄(どうせ寝てしまう)」「その時間は自分のペースで学習したい」という気持ちがあったからです。

 その代わり自分で考え、自分で調べ、自分で工夫することは徹底しました。なぜそこまでやる? それは成功したいから、自力で勝利をもぎ取りたいからですね。まー 野心家の思考そのものです。その意欲が充実していれば人は自力で何でもできてしまうのです。今回「GW特別講習」で扱う「選択問題の解き方」も「算数Fの法則」も永田が数百種の文章題、算数の模試を扱ってきた中で見つけた法則なのです。誰かに教わったわけではありませんが「自分で考え自分で調べ自分で工夫」していく中で発見したもので「こうすれば勝てる」と実証済み且つ信憑性の高い法則なのです。「能動的に動く」を習慣化すれば、自ずとカスタマイズされたこの類の法則は発見できるのです。

 勉強に限らず生きるということ自体能動的なもの、だれかに影響されたり支配されたりして決定することではないのです。小学生のうちは思考方法に幼さが残りますので、よくよく考えてもわからないことは発生します。それは仕方ないことです。その場合は気軽に質問してください。ですが、「たまには自分の頭で考えてみる」は、自分の人生をより良く生きるために欠かせない行為であることは忘れないでください。

 

 
 

 

勝ちパターンを体得する。

2024年4月24日

 さて、中学入試で成功した生徒さんの共通点は何でしょう?「努力家?」「頑張り屋さん?」

 答えは「入試で合格最低点以上を取れた子」です。当たり前と言ったら当たり前の話なのですが、その「合格最低ライン超える点数を取る」という「明確にすべき目標」を曖昧にしたまま、ただ努力する、ただ頑張るだけでは意味がないのです。模試でもそういう目標を不明確にしたまま受ける子と、「今日は全ての科目で7割取るぞ、絶対に」と目標を決めて受ける子とでは結果も多少違ってくるのです。

 「多少」と言うのは、目標は決まっていても具体策が曖昧だとその程度だ、と言う意味です。受験生は具体策まで明確にしてトライすべきなのです。要するに「自分の勝ちパターンを探る」ことだ大事なのです。

 野球でもサッカーでも「失点は最少、得点は相手を上回る」という条件で勝てます。1対0だろうが、9対8だろうがその条件を満たせば勝てるのです。これが勝負事の根本原理ですので、競争の働く入試も例外ではありません。具体策を申し上げますと

 まず「失点を最少」に。この場合の失点とは「正答率50%」以上の問題。「あ、解けるかもしれない」「塾で教わったことがある」「この漢字と語句、みんなできるだろうな」とあなたが感じるような問題は、他の受験生も確実に得点してきますから正答率は50%を超えてきます。ここで言う「みんなが取れるであろう問題」を平気で落とすようなら終わりなのです。「みんなができそうな問題を自分も確実に取る」言い換えればそこで失点しないことが合格の鉄則です。国語に関していえば漢字・語句ですね。できない生徒さんは「たかが1点問題じゃないか」と舐めてかかります。しかしこの1点差で勝負が決まることは多いのです。電車は1円でも不足していたら乗れませよね。こういう世の中の仕組みをシビアに感じるのであれば日頃より「漢字・語句の練習」は欠かさずやるはずです。あとは無駄な失点を防ぐため誤字・脱字などはやらないはずです。字を丁寧に仕上げられる生徒は几帳面というより確実に点を取ることに貪欲だからです、一方で字の汚い生徒は性格が雑、と言うより「今回も落としていいや」「雑な字でも採点者は読み取ってくれるだろう」みたいに受かることへの執着心のなさ・甘えがあるからなのです。「字は体を表す」はまさに言い得て妙な言葉なのです。

 そして「得点は相手を上回る」。これは「少し難しいな、できない子も多いだろうな」と感じるような問題。これは正答率30%〜49%問題でしょうか。「これは見たこともない、どんなに時間をかけても無理だな」と感覚的に思う問題は他の生徒さんもできません。こういう正答率10%以下と思しき問題は無理してチャレンジする必要はないのです。こういうのを「捨て問」と言いますが、そこに時間をかけるくらいなら「正答率30%〜49%」の問題にチャレンジしたほうがいいのです。それを実現させるためには、「やや難しい」と感じる四谷の練習問題の(1)問題を確実に取る練習をするのがいいと思います(特に算数)。

 まとめますと

 1正答率50%を超えるだろうと感じられる問題で満点を
 2正答率30以上〜49%以下くらいだと思える問題で半分程度を
 3正答率10%未満と思える超難問はスルーを(その時間は2に費やす)
 4正答率10%以上〜30%未満は時間的余裕があればチャレンジ

 これでだいたい65%超え(入試で言うところの合格最低ライン付近)は達成できるのです。

 ※ 永田の算数の授業では「F字作戦」教えています。これは算数で確実に6〜7割取る方法です。詳細をお知りになりたい方はお問い合わせください。

 入試で満点を取る必要はないのです。「1点差で合格した」むしろそのほうが「クールに受かった」みたいでかっこいい感じもします(笑)。

特記 GW期間中に「選択問題」を克服しませんか?

2024年4月20日

 国語で点が取れない生徒の勘違いの一つに「いつも記述問題で空欄を作ってしまうからだ」というのがあります。親御さんもそう思っている方が多いのではないでしょうか?

 もちろん記述問題で簡単に空欄を作ってしまう行為は一点差を争う入試において致命的です。記述問題が苦手な生徒さんはそれを克服すべく努力しなければなりません。しかし記述問題のできない生徒さんは目立たないところで実は「選択問題」の方もポロポロ落としているのです。この「選択問題をポロポロ落ととす」方が国語では厄介なのです。

 なせなら記述問題は「文章作成能力」このテクニックで何とか部分点がもらえることが多いのに対し、選択問題は「文章読解力」そのものがないと選べないからです。だからその生徒さんの本当の国語力を知りたければ、記述問題得点力ではなく、選択問題得点力で判断すべきなのです。

 当時小学生だったうちの子は記述オンリーの学校を志望しており、私は6年半ばから特訓し何とか第一志望校に受からせましたが、記述問題は6年から取り組んでも意外と間に合うものです。むしろ思考に論理性が付随し「大人の脳」になりつつある6年生からスタートした方が定着効率が良いのです。

 しかし選択問題だけは早めに克服するに越したことはないのです。私は自分の子に対しても6年までには選択問題で外すことがないよう、そこは徹底指導したことを覚えています。

 そのかつての指導体験も踏まえ、GW期間中に外部の方限定で「GW特別講座(選択問題特訓講座)」を実施したいと思います。

 この「選択問題の得点法」、合計「七つ」あるのですが、申し訳ございませんブログ内ではお教えできません。しかしこの「七つ」を確実に使いこなせば選択問題で間違えることはほぼなくなります。(素直にインプットし素直にアウトプットする、そして自己流は放棄するという条件付きで)

 今回の募集ですが、私は現在ほとんどFIRE中の身で「暇時間を作ること」を重視した生活を目指していますので、2〜3人で満席とさせていただきます(外部の方限定)。

 本音を言えば別にやりたくはないのですが(笑)、それでも開催するのは「たかだか国語」程度のことができない方があまりに多すぎてその状況に私が耐えられないから、そして「国語は簡単だ」ということを少しでも多くの方に知っていただきたいからです。「できない状況を放置したままにしている人を見るとイライラしてしまう」これは職業病ですね(笑)。この職業病が私をそうさせてしまうんですね。この病があるから、悲しいかな完全リタイアができないのだと思います。


 

特記 選挙に行きましょう。

2024年4月17日

 来たる4月28日は当塾の拠点であります東京15区(江東区)で衆院補欠選挙が行われます。当日もしくは期日前に有権者は一票を投じましょう。

「有権者」の「有権」とはこの場合「選挙権が有るということ」です。これは憲法で保障された参政権の一種ですね。
国の行く末を国民が決められる、という点で「権利」ですが、一方で、国民である以上そこに住まう当事者たる国民がそれを決めなければならない、という点で「義務」だという考え方もありますが、どちらにせよ参加し行使すべきだと考えています。そしてその権利なり義務なりの行使を放棄した人間は「政治や政治がもたらした現象について何か物申す資格」が消滅しまうことを肝に銘じるべきだと考えています。

 さて、選挙当日は「うちの子は公民について何も知らない」と嘆く前に親が範を示し、一緒に選挙に連れて行ってあげてください。そこで仕組みを教えるのです。

 「子どもにそんなことさせなくてもいい」「子どもは遊んでいるか家で勉強していればいい」ではなく、親だからこそできることを実践してみてください。こういうのを「社会勉強」と言います。

 「子どもの社会の成績は家庭環境次第」と言われます。地理・歴史・公民どれもこれも家庭内でできることだからです。前述の「選挙に連れて行く」もそうですが、「旅行(遊園地・テーマパークは除外)に連れて行く」「美術館・博物館に連れて行く」他に「家では大河ドラマを見る」などなど。このような経験が豊富な家庭のお子さんは自ずと社会が得意になります。こういうことを親が意識的にやらないと「社会は暗記ばかりの無味乾燥な科目」とお子さんは勘違いしてしまうのですね。社会に限らず勉強を面白くさせるもつまらなくさせるのもその根源は「家庭に有り」なのです。

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