中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

悲壮感を漂わせたら大体負けます。

2023年12月02日

 2月入試まで残り2ヶ月。12月→冬休み→1月受験と、ここから時間は光陰矢の如く過ぎ去り、そして気づいたときには2月1日受験当日になっていたりします。何も成し遂げていない、準備不足を認識したままの状態で「その日」を迎えることが多い。しかし大半の方がそうであり、不本意で不安に満ち満ちた状態で入試本番に臨みます。

 不安の先取り、というわけでもないのでしょうが、この時期から情緒が不安定になるのはお子さん以上に親御さんの方です。「失敗したらどうしよう」という負の気持ちが頭をもたげ、それに苛まれる方も多いのではないでしょうか。

 その不安定な情緒解消の捌け口が受験当事者である子どもだったりします。「こんなのわからないの」「ちゃんと勉強してるの」と責めたて、子どもが落ち込むと、そんな自分の振る舞いに嫌悪したりで、中には「受験やめてしまおうか」と失望する方もいらっしゃったり、この12月は受験に関わる人(特に親)にとって精神がやられてしまう「魔の月」なんですね。長年この仕事をやっているとご家庭での「修羅場」が手に取るようにわかります。

 こういう実験があります。手を組んで左右立たせた人先指の真ん中の空間を見るのです。そして「くっつくな」「くっつくな」と唱えれば唱えるほど左右の人先指はくっついてしまうのです。つまり負の状態をイメージしたり意識したりすればするほど「そういう結果」になってしまうのです。「落ちたらどうしよう」「どうしても受からなければ」と悲壮感を漂わせたり、慌てて湯島天神に出向いて神頼みしてみたり、そういう意識が高まれば高まるほど「負の結果」になってしますのです。

 ではどうすればいいのか・・・という話ですね。

 次回はそのあたりについてお話します。

 

12月に入りました。

2023年12月01日

 12月に入りました。2月入試まで残り2ヶ月、しかし前哨戦の1月入試(埼玉、千葉)は目の前です。
そろそろ過去問で各教科65%が取れるようにしたい時期です。
なかなか進捗がうまくいかないのであればその原因を解決しましょう。

既報通り6年生限定で、冬休みに限って一部外部生の受け入れが可能です。
「どうにかしたい」とお考えの方はご一報ください。

国語は「なんとなくやる科目」ではありません。②

2023年11月16日

 続きです。

 国語でうまくいかなかった理由として、問題が難しかったからという以前に「時間が足りなかったから」と言う生徒が多数います。「時間さえあればできたはずなのに」本当にこういう子は多いです。ですが、日頃こういう悩みを抱えているはずなのに、本気で改善しようと試みる子もまた少ないものです。その理由は「たまたまそうだったから」「次回はそうならないはず」で片付けてしまうからです。

 彼らにはその「たまたま」が入試本番だったら・・という想像力が足りないのです。そして「どうすればいいのか?」を模索しようとしないのです。つまり「どんなに点数が悪くても自己流を捨てられない、現状維持を継続する」のままなのです。確かに現状維持が一番楽ですし、自身をアップデートするには労力とストレスがかかるものですが、それを厭うていてはいつまでもたっても「そのまま」なのです。自分を変える勇気と気概を持つことが大事ですし、それができた生徒さんのみが成績を伸ばし受かっていくのです。

 冒頭の話に戻りますが「国語の成績が伸びない理由」→「時間が足りないから」が幻想だということに気づいている方は少数だと思われます。そして気づいているその少数の生徒のみが国語の成績を高水準で維持できるのです。
 
 「時間が足りないなら速読の練習だ」とすぐに飛びつく人(もしくは指導する人)は、前回お伝えした「物事は理屈で成り立っている、その理解なしでは物事を根本理解することができない」をわかっていないのです。真に理解できていれば「時間が足りないから速読の練習だ」という発想にはならないです。本当にこの「練習」ほど無意味なものはありません。また、国語はテクニックやトリッキーな手法で解くものではないのです。(私は国語において「速読重視」「想像力重視」「行間の読み取り重視」の講師に対しては「ちゃんとロジカルシンキングができているのかな?」という疑問を禁じ得ません)

 私が指導していた生徒の中に上記のことを真に理解していた生徒は過去に何人かいましたが、その中でもAさん(渋幕中高→東大)Bさん(桜蔭中高→東大)Cくん(麻布中高→東京医科歯科大)には共通したところがありました。それは「誰よりも取り掛かりが遅く、誰よりも早く解き終わる」というものでした。これこそが「国語の本質」がわかっている生徒の解き方なのです。実は私も同じやり方で国語に向き合っています(私がそう指導してきたのだから当たり前の話なのですが 笑)

 普通の感覚ではこれは不思議なことです。「遅く始めて早く終わる」「何それ?ありえない」です。ですが物事の根本、つまり「国語の仕組み」がわかっていれば全く不思議なことではないのです。(「国語の仕組み」につきましてはここではお話しできませんので授業時間にて体感してみてください)

 こういう授業(速読を勧めない)をしている塾は(私の知る限り)あまりないと感じるのですが、成績を伸ばせる子は上記の3人のように探究心が強く、常日頃「何かにつけ最適化」を図ろうとする「AIみたいなタイプ」なので「授業で教わったことで自分に足りない分野があるなら貪欲に吸収しよう」という姿勢が強いのです。こういう「授業を有効活用することに積極的な子」「今日も含め明日も、日々自分をより良くしていこうと考える子」は間違いなく伸びます。

 同じ授業を受けていても結果に差が生じるのは、能力云々の差ではなく、まさにその辺りの「姿勢の差」なのです。

 次回に続きます。

 

 


国語は「なんとなくやる科目」ではありません。

2023年11月11日

 第5回四谷大塚合板判テストも終了し、当塾生は全員偏差値55以上確保で終了しました。一例として、もともと偏差値40台からスタートした生徒さんが1年弱で63まで取れるようになったことも加えておきます。当方の生徒さんのほとんどは「国語が苦手」で入塾するのですが、(指示されたことに素直に従う、熱意を持って取り組むなどの諸条件付きで)そこからだいたい1年くらいで偏差値10〜15アップした状態にすることは可能なのです。

 さて、何事もそうですが物事は理屈で成り立っています。そこを理解することは即ち物事の根本理解に繋がるのですが、それを無視して「ただがむしゃらに頑張る」だけではうまく捗りません。

 そもそも「なぜ入試で国語が課せられるのか?」そこから考えなければいけません。そして「国語の入試は我々に一体何を求めているのか?」そこも考えなければいけません。その「国語の本質」「出題者の意図」を無視せず、それに沿った取り組みをしない限り点数化できないのです。

 国語の怖いとことは「みんな最低限のことはできる」ということです。日常生活で支障が出るくらい日本語ができない、という人はいません。しかしだからと言ってその「日常生活に支障が出ないほどの最低限の国語」で中学入試に成功することはない。なのに「それでもなんとかなる」と思わせてしまうところに国語の怖さ・罠があるのです。ゆえに点数が取れないのに、ほとんどの人が国語の勉強を真面目に真剣に考えることなくぶっつけ本番で入試に臨み、返り討ちにあってしまいます。

 「頑張りなさい」だけでは国語力をアップさせられません、また、上記をきちんと説明することなしに演習だけを繰り返させても全く意味がありません。演習は「正しい向き合い方」を無視して頑張ったり励んだりしても効果はないのです。

 本当はお伝えしたいことがたくさんありますが、ここでは紙面の都合上難しいので(あとは手の内をあまり公開したくないこともあり)「本当に国語をなんとかしたい」方はお問い合わせください。

 諸々ヒントをお伝えしたいと思います。
 

特記  四谷の合判テストでなかなか点数が取れなかった方へ。

2023年11月06日

 四谷の合判テストも5回まで終了しました。

 「最後まで結果を出せないまま冬を迎えそうだ」「過去問の進捗も思った以上に悪い」「1月受験も目の前に迫っているのに国語の成績がまるで伸びない。どうすればいいのか」でお悩みの方は多いと思います。

 国語がいつまでたってもできない子には理由があります。逆にいつも安定して成績の良い子にも理由があります。その差異を本気で研究し追求してこなかったツケが今の結果なのです。そもそも「いつまでたっても国語ができない」こと自体がおかしいのです。もしかしたら「正しいベクトル」の真逆方面に努力している可能性もあります。

 できるはずの国語で入試に落ちるわけにはいきません。なんとかしなければなりません。

 その「なんとかするための手立て」を(四谷合判の解き直しをする過程の中で)お伝えします。

 上の「解き直し授業」受講ご希望の方はお問い合わせください。

 そこで何かしらの光明が見えてくると思います。

 

 

成績が伸びないのはおかしいことだと思ってください。④

2023年11月01日

※ 11月に入りました。2月の本番まで残り3ヶ月です。この時期はとにかく苦手科目をなくす、あわよくば得点できる科目にしていく作業に注力すべきです。毎日毎日の過ごし方が重要です。頑張っていきましょう。

 「テストの見直しをしない」「字が汚い」「質問をしない」「同じミスを繰り返す」これらはなかなか成績が伸びない生徒さんに共通することです。このお話は前回もいたしましたが、このようになってしまう原因は受験生としての当事者意識がないからです。なぜその意識がないのか?それは「受験をしたい」ではなく「受験をやらされている」という感覚があるからです。勉強に限らず「やらされている」と思っている間は自分から動くことはありません。上記の四つは能動的にやることですから「やらされている子」は親から言われるまでやらないのです。これではいつまで立っても成績は伸びません。

 もう一つ彼らに欠落しているのは「自分で調べる」という作業です。これも自主性が必要ですが、やはり上の四つの同じようにやらされ感のある子は自分から調べようとしません。スマホもパソコンも図鑑も辞書も自宅にあるのにも関わらず、、です。これは本当に宝の持ち腐れだと思うのですが、こういう子は決まってこのように言います。「これは塾で習っていないから」と。つまり「教わっていないこと以外は覚える必要がない」ということなんでしょうが、これでは知識の幅が広がりません。

 例えば当塾には豊洲近辺に住む生徒さんが多いのですが、周り近所のことをあまり知りません。「歌舞伎座ってどこにある?」「門前仲町にある神社は?」「築地にはかつて何があった?」「築地と月島の境を流れる川は?」など答えられないのです(笑)。某大手塾では「東京に住んでいる子なら、当然東京のことは知っているよね?」ということで地理で「東京問題」を扱っています。実際東京の地理を頻繁に出題する学校(開成など)もあります。つまり自分の身の回りにどれだけ興味を持ち、興味を持ったことをどれだけ調べてるのか・・みたいなことが問われるのです。上の「歌舞伎座」で思い出しましたが、昔慶応の中受問題で「知らざあ言って聞かせやしょう」このセリフは歌舞伎で何の演目のものですか?」というのが出題されました。(答え「白浪五人男」) もっと言えば「白波」とはどういう意味でしょう?まで問うていた問題もありました(これは大学入試で)。

 豊洲から銀座に向かう晴海通りの途中で右手に歌舞伎座を見ることができます。自家用車でもバスでも親が同席している子に「ほら。歌舞伎座。今日は何のお芝居しているんだろうね」「歌舞伎役者ってみんな男の人だね」「猿之助はさるのすけではなく、えんのすけだからね」とかそういうたわいない会話の中で子どもは知識を増やし、興味が湧いてくるのです。

 「塾で習ったこと以外は何も知らないし興味もないし覚える必要もない」。
 こういう事態になるのは、そもそも親子間での会話が不足しているからではないか?と推測します。

 「中受をやらせる親」は「中受をやらせれている子」に対して「勉強しなさい」「早くしなさい」など「〜しなさい」形でしか会話をしていないのではないでしょうか?そこには雑談を入れる余裕などないのでしょうが、最近の入試は「会話がきちんとできている健全な家庭かどうか」を判断するためにこのような「雑談に出てきそうな問題」を出す傾向にあります(渋谷系とか)。

  旅行に行っても「楽しかったね」で終わるのではなく、かと言って「昨日行った高尾山の標高は?」とか質問責めにするのでもなく、何気ない会話の中でそういうことを自然な形で教えていく技量が親には必要です。親御さんがそういう「演者」になれるかどうかですね。上手い子育てをする人は子に「自分の素」を見せません。そういう「大人」になれるかどうかが肝要ですね。

 次回は新テーマです。

 


 

成績が伸びないのはおかしいことだと思ってください。③

2023年10月16日

 続きです。

 「テストの見直しをしない」「質問するのを億劫がる」「字が汚い」。前回は「塾に真面目に通っているのに成績が伸びないのはこういう子」ということで以上の三つの特徴を挙げました。それにもう一つ加えるなら「同じミスを繰り返す」でしょうか。

 ミスは誰でも犯します。完璧な人間などいません。ですが失敗は糧に昇華させてこそ意味があります。「失敗は成功の母」とはそういうことなのです。つまり失敗を失敗のまま放置していては何の利益も産まないのです。ですが「同じミスを繰り返す子」はその意識がありません。

 これも想像力の欠如が原因なのです。「入試で同じ問題が出たらミスするわけにはいかない。必ず得点源にしてやる」と誓える子は同じミスをしません。同じミスをして落ちる、これがどれほど辛いことか想像できるからです。「落ちたらおしまい」この恐怖を実感できる子はミスを繰り返しません。

 しかし、一方で同じミスをする子も多い。何度指摘しても馬耳東風、やはりミスを繰り返す。こういう子は想像力が足りないのですが、なぜ想像力が足りないかといえば入試を自分事だと実感していないからです。どこか他人事、もっといえば親事なのです。つまり自分以上に親が中学入試に熱心だと子どもは「やらされ感」が強まるのです。強制させることに対して子どもは逃げる習性があります。勉強に関わることはあまりしたくない。「見直しなんかしたくない」「質問なんてめんどくさい」「字が汚くても構わない」「ミスをしても構わない」。それは他人事だからです。本当に中学入試を「自分事」として考えるならそのような考えにはならないのです。

 私も多くのご家庭を見てまいりましたが「子どもより親の方が中学入試に熱心な家庭」は成功率が低いです。なぜならこういうご家庭は親が先頭に立ち子を誘導するからです。つまり「やらせる」からです。子どもは強制されることが嫌いです。だから逃げる、結果「中学入試からも逃げる」ことになるのです。そういう子が自分から自主的に動くでしょうか?動かないからこそ上記の諸々を自分からやろうとしないのです。

 早期教育は子どもの自由を奪い、親に課題なストレスをかけるという意味で私は反対の立場をとっています。理由は簡単で「これでは家庭が楽しくないから」です。「義務と言い争いなどストレスの毎日」いくら中学受験成功して喜びたいからといって、いまの生き方をどんよりさせるのは本末転倒ではないでしょうか?

 うちの場合は子どもが中学入試の準備を始めたのは5年生からです。それまではボヘーっと生活していました。私はこういう仕事をしているのですが、中学入試については一度も勧めたことはありません。そして5年になって「友だちがみんながやるから私も」みたいな単純な動機で始めたのです。つまり自分からやる意志を示したのでやらせたにすぎません。そして入試までの2年間、私は勉強のことで子どもと喧嘩をすることはありませんでした。それは中学入試は「子ども事」で私には関係ないからです。強制ではないので勉強についての親子喧嘩は発生しようもなかったのです。もし「やめたい」といったら辞めさせ公立中に行かせるつもりでした。その方がお金もかかりませんしね(笑)親としては経済的に楽なんです、だからそれでもいいと「密か」に思っていました、が、本人は意外と粘り強く最後まで取り組み、結局中学受験は第一志望校に合格、同じ調子で大学受験でも第一志望校に受かりました。その間私は一切ノータッチ。必要だったら求めに応じて少し教えたくらいでした。

 子どもに強要したり強制したりするのは親が子どもを信じていないからです。自分が手助けしないと子どもはどーにもならないと思い込んでいるからです。しかしどんな動物でも成長の過程で進化します。子ども自身が「どうやって生きていけばいいのか?」と親の知らないところで年中模索しているのです。これは本能のようなもので、しかし、その子どもの本能を信じられない親があれこれ干渉するのです。

 子どもは自分の頭でいろいろ試行錯誤し取捨選択しながら「自分のベスト」を探ろうとしています。
 親はそれをじっと見ていればいいのです。過保護過干渉はお子さんのそういう「成長の芽」を親御さん自らが摘み取ってしまっているようなものなのです。

 自分から動こうとするまで待ってあげる。見捨てることなく、かといって構い過ぎることなく。

 この辺りのバランス感覚が子育てでは必要なのではないでしょうか?

 次回に続きます。

 

成績が伸びないのはおかしいことだと思ってください。②

2023年10月07日

 続きです。

 年少時から塾通いしている子のほとんどは「やらされて」います。幼稚園を出たばかりの子で「将来の中学受験に備えて・・」と自分の意志で塾通いする子はいません。子どもというのは刹那的な生き方をするので、目先のことに対処するのが精一杯なのです。ですから仮に長期的に物事考えられる子だとしても、いつの間にかその意志はおぼろげになりいつしか初心は忘れてしまうものなのです。つまり「やらされている」ので他律的な強制がないと自分から学習することはないのです。

 強制された子は隙を見て逃げたがります。そして最低限のことだけやっていればそれで良し、叱られなければそれで良しという姿勢なのです。最低限のこと、例えば「サボらず毎日塾に通う」「サボらず宿題をする」「叱られるのでサボらない」など形が優先なのです。体裁が整っていればそれが真面目に学習したことになる、と考えています。しかしそこには肝心なことが含まれていません。それは「そこには魂が宿っていない」ということです。「うちの子は真面目に勉強しているのに塾に通っているのに成績が上がらない」という子は「体裁だけの学習」「魂の抜けた学習」を長年行なっているだけなのでそうなるのです。

 「なんのために勉強しているのかわからない」もちろん中学受験に成功するため・・くらいはわかっているはずなのですが、他律的な学習に慣れているとその「成功するために何が必要か?」すら見失ってしまうのです。物事の本質がわからなくなったまま「真面目に塾に行くだけの子」になってしまっているのです。

 できない子の典型例を申し上げます。例えば「テストの見直しをしない子」。テストの見直しをしない子は大抵成績が低迷しいています。

 テストの結果を親子で一喜一憂して終わり。そんなご家庭が多いです。「解き直しはやったの?」「してない」これができない子というものなのです。こういう子は「できなかった問題とそっくりな問題が入試に出たらどうしよう?」という想像力が働きません。「やらされ感」を抱いたまま毎日を過ごしていますので、めんどくさいことはしたくない、できなかった問題をまた見ることで再び嫌な思いはしたくない、など受験生とは程遠い幼稚な理由で見直しを避けようとします。本気で受かりたい子なら「落ちたらどうしよう」その恐怖が先にきますから、その克服するために解き直しをするものなのです。

 そして解き直しをしても「やっぱりわからないからやーめた」で終わらせる子も多いです。これも全く意味がありません。「以降はできるようにしておく」が大事なのです。わからなければ親に聞けばいいのです。無理なら私を含めた塾の講師に聞けばいいのです。場合によってはできる友達に聞いてもいいのです。なのにやらない。やらない理由は「めんどくさい」「そこまでして解けるようにしたいと思わない」「無能だと親に叱られるかもしれないからやらない」「講師にも無能扱いされそうで聞くのは恥ずかしい」つまり「受かりたい熱意」より「そういう言い訳」が勝った結果解き直しをしないのです。「諸々の学習は全て中学受験成功を導くため」その「物事の本質」がわかっていないのです。これではうまくいきません。

 字が雑で汚い子もそう。こういう子は「理解できない字で書いたら採点者が✖︎をつけるかもしれない」こういう想像力が欠けているのです。

 一事が万事。このように「受かるため何をすべきか?」を根本的に理解せず、「形だけの学習」を長年継続したとしても全く効果は上がらないのです。

 では、どうすべきか? につきましては次回お話しさせていただきます。

 
 

成績が伸びないのはおかしいことだと思ってください。

2023年10月01日

※ 10月に入りました。2月本番入試まで残り4ヶ月です。ここから先は無意味な過ごし方はできません。毎日毎日何かしらの成果を生み出し積み重ねていきましょう。

 さて、忙しく過ごした学校から帰宅した後、のんびりする間もなく軽く食事をとり塾に直行する、そして21:00ごろに帰宅。その後、再び食事をとり宿題を片付けて翌朝には再び学校へ・・みたいな生活をほぼ毎日何年も続けている子どもさんにはその努力に敬意を表します。このようにストレスフルな毎日を過ごすのは何のため?中学受験に合格したいから?なぜしたい?いい大学に・・いい企業に・・そして幸せになるために・・つまり前回のテーマである「苦しみの先には幸せが・・」を見込んでの現在の苦労だと思うのですが、勉強を苦労だと思わないようにするには(前回も触れましたが)「勉強する気になるまで放置する」「過干渉ではなく実が落ちるまで待つ」「親の背を見せ自分で考えさせる」がポイントだというお話をしました。自分からやる気になった勉強は苦しみではなく、自分を磨くための喜びである、つまり「自主的にやる勉強は苦労にならない」なのですが、ほとんどの親御さんは焦ったり諸々な情報に影響されたりしがちなので、「幼児期からの塾通い」「過干渉」「叱咤」(これらは私からすれば「やってはいけない三か条」みたいなものですが)を自分から進んでやってています。これはひとえに「我が子への不信」による行動に他なりません。自分の産んだ子を信じられない=自分の分身を信じられない=自分を信じられない、からは必然的に幸福が生み出されるわけはないのですが、なぜか不思議なことに「前へ倣え」とばかり皆さんこういうことをやってしまっています。

 どんなに楽しいことでも「他律的なもの」は苦痛です。「勉強をさせられている」と思った瞬間に、子どもは思考停止になるか逃避するかの2択になってしまうのです。これでは成績の伸ばしようがありません。

 こういう「うまくいかないこと」を繰り返していると悪循環に陥っていきます。早い時期から自由を奪われる(幼児期からの塾通い)→親が勉強のことでうるさい(過干渉)→点数のことで叱られる(叱咤)→もう勉強やりたくない、嫌だ→(最初に戻る)・・を受験期間中繰り返したところで何か光明が見えるという訳ではありません。

 私が親なら(とは言っても私自身もリアルな中学受験生の親を体験してますが)子に対して「幼児期から塾通いさせる」「過干渉」「叱咤」は絶対にやりません。これらはマイナスに作用する以外の何物でもないからです。

 タイトルにある「勉強しているのに成績が伸びないお子さん」は上記のようにして作られていきます。これはお子さん、というより親御さんの教育方針に原因があるのですが、もしこのような状態が長く続いていて諦めたり絶望したりしていても、起死回生策というのはあるのです。

 その「起死回生策」を取り入れるかスルーするかで今後の道筋が決まります。

 本当に不思議に思った方がいいです。「どうして成績が上がらないのか」について。そうなるのには必ず原因がある、何かが間違っているからそうなるのです。

 次回に続きます。

苦しみの先には喜びが・・という生き方はしない。④

2023年9月24日

 続きです。

 人間の幸不幸は、自分の行動が自律的なものか他律的なものかその量で決まるというのが私の考えです。例えばゲームに講じている子がいたとします、そしてある日ゲームが学校の授業で取り入れられ、クリアした数が成績に反映される、さらにゲームが毎日の宿題としてノルマ化される、なんてことになってもゲームを楽しく続けられるかという話なのです。海外旅行は好きだけど、同じヨーロッパに行くにしても会社の出張だとそれほど楽しくはないですね。つまり誰かに支配された他律的な行動はつまらなく、そればかりだと不幸だということなのです。

 学校においても家庭においても子どもは他者に縛られています。ちょっとした隙に・・とか、親の目を盗んで・・とかそんな時でないと自分の好きなことはできません。つまり毎日毎日がほぼストレス状態であり、そこに先生や親の叱咤が加わればもう地獄のような日々になります。

 私の体験で申しますと子育てで一番いいのは「放置」です。放任とか無責任とかそういう意味ではありません。「見てないフリをして遠くで見ているだけ」に留めておくのです。これは塾生に対しても同じです。そういうことを言いますと親は不安になります。「親が何も言わないと好き勝手して碌なことにはならない」「いつも監視していないと正しい方向に導けない」など。

 ですがそれはお子さんを信じていないからなのです。お子さんへの不信は親が作り出した妄想である、そこに気づいていない方が多いです。例えば、我が子が遊んでばかりいると「将来この子は苦労する」、楽しんでいる様子をみると「ここで気を引き締めないと後々大変だ」と勝手にマイナス解釈をします。そして子供が純粋に喜んでいることに水を差すそうとします。これは「先に楽しむと後で苦労する」という根拠なき呪縛(妄想)に囚われているからです。嬉しくてはしゃいでいる子に「いつまでも調子に乗ってるんじゃない」と叱咤しがちな親はまさにこのタイプです。「先に楽しむと後で苦労する」これと同義なのはタイトルの「苦しみの先には喜びが・・」なのですが、苦しんだ翌日に人は死ぬこともあります。未来のことはわからないし、苦しみの先に必ず喜びが訪れるという保証もないのに、こういう言葉に囚われて自分のみならず周りの人にまで悪影響を与えてしまうなら、それは不幸を撒き散らしているということに他なりません。

 お子さんが勉強したくないなら、それは勉強することの価値や意味がわかっていないからなのです。なのにほとんどの親御さんはわからせようとしてガチガチに説教したり強要したりします。ですが、そういている間、子どもはずっと不幸だということに気づいて欲しいのです。

 「先に苦労させて(勉強させる)その先の喜び(合格を勝ち取る)を・・」ではなく、そもそも勉強を苦労と考えさせないことが大事なのです。成績上位生のほとんどは(例えば東大王のタレントさんなどは)勉強を苦労とは考えていません。好きで取り組んでいるのです。こういう方は必ずこう言います、「親から勉強しろと言われたことは一度もない」と。

 できる子だから親は安心して何も言わない、ではないのです。それは親が前述のように「放置」してきたからです。そして勉強の必要性・面白さに気づくまで子どもを「泳がせてきた」からです。

 子どもは親の背を見て育つと言います。父親がテレワークで英語を駆使して仕事をしている様子、母親が楽しみながら読書している様子、そういうのを見ていれば子どもは「英語で仕事しているオヤジかっこいい」「読書って楽しんだ」自分もやってみよう、になるのです。「家族で大河ドラマを見ている家庭、旅行が好きな家庭で育った子は社会ができる」は半ば常識になっていますが、何も強要しなくても子どもは自分で考え自分で工夫し自分で成長しようとしていくものなのです。だって成長しないと生きていけませんから(笑)。これは本能のようなものです。

 その「子どもの本能」すら信じてあげられない親は「苦しみの先には喜びが・・」みたいな幻想を頼りに教育しようとします。これで成果は出るかもしれません。ですが強要されて得た成功は付け焼き刃に過ぎず、いずれメッキは剥がれます。「中学受験がゴールでした」になるのは、まさにこういう家庭で育った子です。

 柿の実を青い時に叩くのではなく色づくまで待つが如く、過干渉することなく子どもを見守るに留める。
 
 子育てとはそういうものです。

 次回は新テーマです。

 

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